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イドリース1世(イドリース・ブン・アブド・アッラーフ、? - 793年〔『西アジア史 1』 佐藤次高編、山川出版社〈新版世界各国史〉、2002年、付録、索引、p.4〕)は、モロッコを支配したイドリース朝の始祖(在位:789年〔私市 (2002)、p.201〕 - 793年〔)で、最後の正統カリフであるアリーの子・ハサンの末裔であった〔。 イドリース1世は、アッバース朝のハールーン=アッラシードがカリフであった786年に、メッカ近郊での正統カリフのアリー派の反乱(ファフの戦い)で、反乱軍に参加していた〔。しかし、この戦いに敗れ、そのため鎮圧されるとイドリース1世はエジプトを経て、当時アッバース朝支配下にあったモロッコへ逃亡し、ワリーラ(メクネス付近)に落ち延びた〔。そこでベルベル人のアウラバ族に受け入れられ、789年に宗教的・政治的指導者として認められ、さらに近隣のベルベル人諸部族からも認められて、正式にイドリース朝を建国した〔。 ベルベル人の支持により、中部モロッコのタドラを支配し、さらに790年にはトレムセン地方に進出して勢力を拡大した〔。そのため793年にハールーン=アッラシードによって送られた刺客により毒殺された〔。その跡を子のイドリース2世が継いだ〔私市 (2002)、pp.201-202.〕。 == 脚注 == === 注釈 === 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イドリース1世 (イドリース朝)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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